国技・相撲と家紋の関係性。家紋が持つ不思議なパワーとは?

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自分の家の家紋をご存知ですか?

衣・食・住の様々な面で
欧米化が進んだ現在では、
着物を着る機会はほぼありません。

そのため、日常生活で家紋に
触れる機会はないでしょうし、
家紋を知らないという方も多いはずです。

農民と町民が名字を持つことを
制限されていた江戸時代には、

家紋は名字の代わりに一族を識別する
記号として用いられていました。

ヨーロッパの紋章とは異なり、
身分関係なく誰でも持てた家紋は、
御先祖様から受け継いだ宝です。

家紋は、近年その洗練された
デザイン性が改めて注目されていますが、
デザイン以外に優れた点があるのです。

この記事では、家紋の持つパワーについて
お話ししていきます。

力士と家紋

相撲は、日本の国技ですし、
その歴史は古いです。

各相撲部屋ごとに家紋もありますし、
十両に昇進すると自分の家の家紋入りの
紋付の着物を着用するようになります。

この時、日本人力士ならば自分の家の
家紋があるので問題にはなりません。

しかし、最近では、外国人力士も多く、
特にモンゴル出身力士は強い方が多いので、
十両以上に昇進し、活躍する方が多いです。

外国出身の力士が十両になった場合は、
自分を今まで育ててくれた、いわば
「第二の親」である親方の紋を受け継ぎます。

例えば、モンゴル出身の日馬富士は
「抱き茗荷紋」を受け継いでいます。

dakiMyouga

ブルガリア出身の琴欧州は「丸に蔦紋」を。

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日馬富士と同じくモンゴル出身の力士の
白鳳が親方から受け継いだのは、
「丸に三つ鱗紋」という家紋です。

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「丸に三つ鱗紋」とモンゴルの間には
浅からぬ繋がりがあったのです。

北条氏とモンゴル帝国

元々「丸に三つ鱗紋」は源頼朝が
開いた鎌倉幕府を受け継ぐ形で
実権を支配した北条氏の紋でした。

鎌倉時代に起きた大事件として、
必ず歴史の授業で取り上げられるのが
モンゴルから襲撃された「元寇」です。

海に囲まれているために外国からの
侵入を受けにくい日本が、史上初めて
外国軍の侵入を受けたのが元寇です。

その後の日本に与えた影響の大きいので、
小学校でも教えられていますよね。

元寇は誰でも知っている出来事です。

さて、日本は幸運な台風の到来もあって
元軍を退けたのですが、実際に、
この出来事の恐ろしさを解説します。

そもそも「元」とはモンゴル部族が
中国を支配下に置き開いた王朝です。

元の大本であるモンゴル帝国も
並外れた大国家でした。

チンギス・ハーンやその後継者たちは、
地球上の陸地の25%を占める
大帝国を築いたのです。

その過程でモンゴル軍の侵攻を
受けた40近い国々の中で、
モンゴル軍を完全に退けたのは、
日本を含むたった2つの国だけなのです。

転向に恵まれたとは凄い事ですよね。

もし、あの時侵略されていたら、
歴史は大きく変わっていたと思います。

で、ここからが家紋につながります。

家紋の持つ不思議な力

さて、その当時は間違いなく
世界一の力を誇っていた元朝は
元寇を行うために、ある決断をします。

それが、世界史上最大の艦隊を派遣でした。

結果的に前述の台風の幸運も重なり
日本は何とか事なきを得ましたが、

モンゴルにとっては元寇での
北条氏への敗北はいわばほろ苦い思い出です。

そんな因縁がある紋を、
モンゴル出身の白鳳が使用しています。

ですがこれは、家紋に宿るパワーを
借りてある強大なライバルを倒すための、
一種の策略でもあったのです。

ここで少し、白鳳が十両に
昇格した2004年に思いを馳せてみましょう。

当時もっとも強かった力士として
脳内に浮かぶのは、恐らくこの方
朝青龍ではないでしょうか?

白鳳と同じモンゴル出身である
朝青龍の実力派は桁外れでした。

35連勝中の朝青龍は向かうところ
敵なしの最強の力士でした。

そして、彼と闘って勝ち越した
力士は、白鳳ただ一人でした。

もちろんこの結果は白鳳自身の努力や
周囲の方々からの支えがあったからこそです。

かつて強大なモンゴルを破った
北条家の紋を背負った白鳳が、
家紋に宿る力の守護を受けていたかもしれません。

私たちが普段は気にも留めない
家紋には、もっと大きく恐ろしい
影響力を秘めたものなのかもしれいません。

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