時代背景を考慮すると、
絶対にあるはずのない物が、
ありえない場所から見つかる。
そんな現象が世の中には存在します。
例えば
- 有名な水晶髑髏
- 更新世のスプリング
- サンダルで踏まれたような三葉虫の化石
などがあげられます。
発見された場所や時代にはそぐわない、
あるはずがないと考えられるものを、
オーパーツ(場違いな工芸品)と呼びます。
今回のテーマは、若干意味が異なりますが、
一種のオーパーツなのでは?
と話題の作品をご紹介します。
今回取り上げるものは、「浮世絵」です。
浮世絵「東都三ッ股の図」に描かれたスカイツリー
こちらが、先ほどお伝えした
オーパーツとも言える浮世絵です。
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/ukiyoe-toutomitumatanozu.jpg)
「東都三ッ股の図」(とうとみつまたのず)は、
防腐のために船腹を焼く
船大工の日常を描いた浮世絵です。
注目して頂きたいのは、左奥です。
当時の江戸末期には存在しない、
構想建造物が描かれている事がわかります。
これは、未来の江戸を予言して書いた、
東京スカイツリーではないか?と言われています。
この絵が描かれた場所も、
スカイツリーがある隅田川付近という事もあり、
予言ではないか?と考えられています。
東京スカイツリーではなく「やぐら」説
ご覧になってみて、いかがでしょうか?
謎の建造物の左側の建造物は、
「火の見やぐら」のようです。
当時の資料によると、この火の見やぐらは、
全長3丈2尺(約9.6m)とされています。
絵の関係性からみると、
謎の建造物は「約20m~25m」くらいですね。
スカイツリーには遠く及びません。当然ですが。
当時の江戸時代には、建造物の高さについて、
決まりがあったようです。
江戸幕府の威厳を守り、保つために、
江戸城よりも高い建造物の建築は、
認められていなかったようなんですね。
江戸城は、天守閣を含めると58mとの事なので、
当時の建築技術でも、25m前後の建築物を
立てる事は十分可能だとわかります。
先ほど、ご紹介した謎の構想建造物は、
「井戸掘りのやぐら」と考える説が定説のようです。
井戸が掘られたら、解体されるため、
他の絵に描かれていないようです。
個人的にも、天説として考えられている
「井戸掘りのやぐら」が答えな気がします。
少なくとも、スカイツリーではないですね。
大きさも全然足りませんから。
そもそも、今回ご紹介した
「東都三ッ股の図(とうとみつまたのず)」は、
歌川国芳の作品です。
歌川国芳は、歌川派の
浮世絵師の一人です。
歌川の名を持つ浮世絵師が多いので、
混同しないようご注意ください。
・・・実は、彼の作品には、
未来を予知したのか?
と考える浮世絵が存在します。
もしかすると、彼は未来を見た
タイムトラベラーなのかもしれません。
まずは、歌川国芳についてご紹介します。
歌川国芳とはどんな人物だったのか?
歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1797年1月1日) - 文久元年3月5日(1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師。
歌川国芳 - Wikipedia
歌川国芳が活動していた当時の江戸は、
天保の改革によって、贅沢が禁止されていました。
娯楽にあたる浮世絵も制限の対象になりました。
当時の禁止令をかいくぐって、
優れた浮世絵を世に出し続けた浮世絵師こそ、
歌川国芳なのです。
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/self-portrait-utagawakuniyoshi.jpg)
前述のように幕府の禁令によって
浮世絵の出版を戒められていました。
奉行所に呼び出されて、尋問されたり
罰金を取られたりもしたそうです。
それでも、歌川国芳は、
江戸幕府を風刺する絵を描き続けたことで
当時の人々から非常に愛された絵師だったようです。
また、多くの弟子を育てた彼の功績は偉大で、
2011年には彼の没後150年を
記念した展覧会が開かれたほどでした。
話を都市伝説に戻しますが、
歌川国芳の作品の中には、
いくつか、話題のものがあります。
「東都御厩川岸之図」に書かれた予言
「東都三ッ股の図」の他に、
都市伝説界隈では、
「東都御厩川岸之図」が話題になっています。
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/toutoonmayagashinozu-01.jpg)
右下の男が手にする傘に記された
文字をよくご覧になって下さい。
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/toutoonmayagashinozu-02.jpg)
分かりにくいのですが、
「千八百六十一番」とありますよね。
数字にすると、「1861」ですね。
これが何を意味するのかというと、
西暦を意味するといわれています。
歌川国芳自身が、
「西暦1861年に亡くなった事を予言している」
という事で話題になっているのです。
当時は、鎖国政策によって、
海外との交流がほぼ禁じられていました。
時の流れを数えるのに使用するのは、
もっぱら年号だけでした。
例えば、歌川国芳が生きた時代は、
寛政(かんせい)が元号でした。
今でいう和暦をイメージしてください。
和暦に対して、西暦は、
キリストが生まれた年を、
基準として数えていきます。
鎖国で、情報が入ってこない当時、
西暦の知識と理解があったという事は、
考えにくいかなと思います。
そもそも、「なぜ、西暦なのか?」と
考える方もいるかもしれません。
「千八百六十一番」なので、
何らかの番地を意味するのでは?
と私も思っていました。
しかし、「番地」という考え方は、
明治の文明開化以降の考えのようで、
当時の江戸には存在しません。
たまたまじゃないの?とも思えますよね。
やや、こじつけが強いかな?
という印象を受けますが、
ロマンがあるな、と個人的に思います。
没年の予言は、これだという仮説がなく、
自分の未来を見たタイムトラベラーとする説も、
あるとか、ないとか・・・。
スマホを持つ女性の浮世絵
番外編という事で、
他にも、ネットで話題になっている、
歌川国芳の作品をご紹介します。
なんと、スマートフォンを持つ
女性の浮世絵との事です。
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/utagawa-kuniyoshi-smartphone-03.jpg)
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/utagawa-kuniyoshi-smartphone-04.jpg)
こちらがそれぞれのアップの画像です。
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/utagawa-kuniyoshi-smartphone-01.jpg)
![](https://urbanlegend-jp.com/blog/wp-content/uploads/2016/08/utagawa-kuniyoshi-smartphone-02.jpg)
これには笑えました。
どう考えても「手鏡」と「包丁」です。
パッと見て、それらしきものに感じますが、
間違いなくiPhone・スマホではありませんね。
都市伝説好きな私でも、
これはフォローしきれません。苦笑
まとめ
さて、今回の都市伝説はいかがでしたか?
残念ながら、歌川国芳がタイムトラベラーで、
未来の東京を見て、スカイツリーを書いたとする説は、
否定される形になりました。
残念ですが、あれはスカイスリーとは言えないです。
井戸掘りのやぐらが正解でしょう。
しかし、自分の没年を予言した傘の浮世絵は、
謎が深まりますよね。
もしかすると、タイムトラベラーかもしれません。
あなたは、どう思いましたか?