【天草四郎の伝説や超能力の真相】伝説を作り上げた益田甚兵衛との関係性

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歴史で学ぶ「天草四郎」について、
あなたはどんな印象をお持ちでしょうか?

「島原の乱」「踏み絵」「隠れキリシタン」
と言われるとなんとなく、
聞いた事がある感じでしょうか。

私たちが歴史で学んだ「天草四郎」は、
実は、多くのオカルト伝説を残している、
非常に不思議な人物
なのです。

天草四郎の神童伝説&オカルト伝説を、
ご紹介していきます。

さらに、掘り下げて、
天草四郎を祀り上げた「黒幕」の可能性も、
この記事で触れていこうと思います。

天草四郎とは?神童伝説から島原の乱終結まで

おそらく、天草四郎の名前は、
歴史の授業で聞いた事がある方が多いはずです。

教科書では、江戸幕府に反発した
「島原の乱」の指導者として紹介されていますが、
非常に多くの伝説を持つ人物なのです。

島原の乱を率いた時の年齢は、わずか16歳。

天草四郎はわずか16歳で、
約3万7千人を率いて一揆を起こした
のです。

幕府軍は、島原の乱を重く見ており、
約12万人の大軍を率いて、
一揆の鎮圧に向かいました。

善戦するも、戦力差が違いが大きく、
幕府軍が勝利し、天草四郎を含めて、
一揆に参加したものは処刑された
のです。

天草四郎は、わずか16歳で
亡くなってしまったのですが、
多くの伝説を残しています。

天草四郎の神童、伝説について、
詳しくご紹介していきます。

天草四郎の神童伝説

天草四郎は、1627年に、
九州・天草で生まれました。

幼い頃から非常に頭が良く、
3歳で言葉を話し、5歳で漢文を読めるほどでした。

また、記憶力や理解力も非常に優れており、
周囲の人々を驚かせました。

天草四郎の神童伝説

  • 3歳で100首以上の和歌を詠んだ
  • 5歳で論語を暗記した
  • 10歳でラテン語を習得した
  • 10歳で難解なキリスト教の聖書を理解し、議論できた

これが本当であれば、
まさに「神童」と言えますよね。

天草四郎の伝説は、これだけではありません。

天草四郎のオカルト伝説

神童として有名だった天草四郎は、
成長していくにつれて、
オカルト的な伝説も残しています。

例えば、未来予知、念力、不死身などです。

天草四郎の伝説

  • 天草と島原の間にある湯島という島まで海の上を歩いた
  • 天候を操れた
  • 銃弾を浴びても傷一つつかなかった
  • 刀で斬られても平然としていた
  • 火の中に飛び込んでも火傷をしなかった
  • 病気や怪我を治癒した
    • 盲目の少女に触れただけで彼女の視力を回復させた
  • 動物と話せた
    • 雀が止まっている竹の枝を折っても雀は逃げなかった

これらの伝説があったからこそ、
カリスマ性を高める事ができて、
一揆勢力をまとめる事ができたと考えられています。

かなりオカルトな伝説ですが、
当然、その真偽を裏付ける科学的な根拠はありません。

なぜ、後世に伝説として、
残っているのかというと、
2つの理由が考えられます。

  • 当時の民衆が天草四郎を英雄として崇拝するあまり、彼の能力を誇張して伝えた可能性
  • 巧妙なトリックを用いて、超能力のイメージを作り上げた可能性

私は「2」のトリックを用いて、
イメージを作り上げたと考えています。

彼のカリスマ性を高める演出をした
「影の存在」がいた可能性が高いのです。

その人物こそが、「益田甚兵衛」という人物です。

天草四郎伝説を作った黒幕!?益田甚兵衛

まずは、天草四郎と益田甚兵衛の関係について、
ご紹介していきます。

天草四郎の本名は、「益田四郎時貞」で、
ずばり、「益田甚兵衛」は、
天草四郎の実の父親
です。

益田甚兵衛は、キリスト教に入信した大名
「小西行長」の元家臣で、
小西家没落後、江部村で農業を営んでいた。

使えた小西家の影響を受けて、
益田甚兵衛もキリスト教徒であり、
天草四郎もキリスト教徒として育てます。

このキリスト教という点がポイントで、
天草四郎の伝説は、聖書をオマージュした内容が、
かなり多く存在している
のです。

つまり、意図的に伝説を作り上げた、
何らかの演出があった
とも考えられます。

伝説の仕掛人として考えられるのが、
ほかならぬ四朗の父親の益田甚兵衛
だと、
考えられているのです。

天草四郎伝説はトリックだったのか!?

天草四郎の伝説は、あくまでも伝説です。

その真偽を裏付ける科学的な根拠はありません。

しかし、歴史的な背景をたどると、
天草四郎を神童に仕立てる事によって、
成り上がりを考えていたのかもしれません。

もともと、大名の家臣だったわけですから。

伝説のトリック

  • 天草と島原の間にある湯島という島まで海の上を歩いた
    • →潮が引いた時に海に杭を打ち込み、その上に板を敷かせる。
    • →潮が満ちて、辺りが薄暗くなるタイミングで板の上を歩く
  • 天候を操れた
    • 事前に天候を予測していた
  • 銃弾を浴びても傷一つつかなかった
    • →厚い衣服や金属製の護符を着用していた
  • 刀で斬られても平然としていた
    • →刃こぼれした刀を使用していた
  • 火の中に飛び込んでも火傷をしなかった
    • →濡れた布を被って飛び込んでいた
  • 病気や怪我を治癒した
    • →トリック不明
  • 動物と話せた
    • →動物の習性を利用していた

上記のように、トリックとして、
説明がつくものが多く存在します。

私たちが、マジックを見て驚く事と同様に、
当時の民衆も天草四郎のマジックを見て、
神格化していた可能性は十分あります。

タネや仕掛けがあると分かっている、
技術が発達した現代に生きる私たちでさえ、
マジックには驚かされます。

情報がない当時であれば、
神の力だと思ってしまっても、
仕方がない事だと思います。

天草四郎は、まだまだ子供でしたから、
父、益田甚兵衛が裏で糸を引いて、
神格化する演出をしたと考えると自然です。

まとめ

歴史の授業で習う天草四郎について、
別の角度からご紹介しました。

当時の事ですから検証不可能ですが、
私はトリックによる演出の線が濃厚だと考えています。

あなたはどう思いますか?

他にも、超能力に関する記事を書いています。
合わせてご覧ください。

【日本の超能力者】御船千鶴子と長南年恵の驚きの能力(透視/千里眼/神通力)

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