【オーパーツ?タイムトラベラー?】歌川国芳の浮世絵での予言!東京スカイツリーや自分が亡くなる年の予告の真相

広告を利用しています。

管理人
管理人

Amazonで都市伝説や、陰謀論をまとめた書籍を販売中!

今すぐチェック→3冊目出版記念キャンペーン中

時代背景を考慮すると、
絶対にあるはずのない物が、
ありえない場所から見つかる。

そんな現象が世の中には存在します。

例えば

  • 有名な水晶髑髏
  • 更新世のスプリング
  • サンダルで踏まれたような三葉虫の化石

などがあげられます。

発見された場所や時代にはそぐわない、
あるはずがないと考えられるものを、
オーパーツ(場違いな工芸品)と呼びます。

今回のテーマは、若干意味が異なりますが、
一種のオーパーツなのでは?
と話題の作品をご紹介します。

今回取り上げるものは、「浮世絵」です。

浮世絵「東都三ッ股の図」に描かれたスカイツリー

こちらが、先ほどお伝えした
オーパーツとも言える浮世絵です。

東都三ッ股(とうとみつまた)の図

「東都三ッ股の図」(とうとみつまたのず)は、
防腐のために船腹を焼く
船大工の日常を描いた浮世絵です。

注目して頂きたいのは、左奥です。

当時の江戸末期には存在しない、
構想建造物が描かれている事がわかります。

これは、未来の江戸を予言して書いた、
東京スカイツリーではないか?
と言われています。

この絵が描かれた場所も、
スカイツリーがある隅田川付近という事もあり、
予言ではないか?と考えられています。

東京スカイツリーではなく「やぐら」説

ご覧になってみて、いかがでしょうか?

謎の建造物の左側の建造物は、
「火の見やぐら」のようです。

当時の資料によると、この火の見やぐらは、
全長3丈2尺(約9.6m)とされています。

絵の関係性からみると、
謎の建造物は「約20m~25m」くらいですね。

スカイツリーには遠く及びません。当然ですが。

当時の江戸時代には、建造物の高さについて、
決まりがあったようです。

江戸幕府の威厳を守り、保つために、
江戸城よりも高い建造物の建築は、
認められていなかったようなんですね。

江戸城は、天守閣を含めると58mとの事なので、
当時の建築技術でも、25m前後の建築物を
立てる事は十分可能だとわかります。

先ほど、ご紹介した謎の構想建造物は、
「井戸掘りのやぐら」と考える説が定説のようです。

井戸が掘られたら、解体されるため、
他の絵に描かれていないようです。

個人的にも、天説として考えられている
「井戸掘りのやぐら」が答えな気がします。

少なくとも、スカイツリーではないですね。
大きさも全然足りませんから。

そもそも、今回ご紹介した
「東都三ッ股の図(とうとみつまたのず)」は、
歌川国芳の作品です。

歌川国芳は、歌川派の
浮世絵師の一人です。

歌川の名を持つ浮世絵師が多いので、
混同しないようご注意ください。

・・・実は、彼の作品には、
未来を予知したのか?
と考える浮世絵が存在します。

もしかすると、彼は未来を見た
タイムトラベラーなのかもしれません。

まずは、歌川国芳についてご紹介します。

歌川国芳とはどんな人物だったのか?

歌川 国芳(うたがわ くによし、寛政9年11月15日(1797年1月1日) - 文久元年3月5日(1861年4月14日))は、江戸時代末期の浮世絵師。

歌川国芳 - Wikipedia

歌川国芳が活動していた当時の江戸は、
天保の改革によって、贅沢が禁止されていました。

娯楽にあたる浮世絵も制限の対象になりました。

当時の禁止令をかいくぐって、
優れた浮世絵を世に出し続けた浮世絵師こそ、
歌川国芳なのです。

歌川国芳の自画像

前述のように幕府の禁令によって
浮世絵の出版を戒められていました。

奉行所に呼び出されて、尋問されたり
罰金を取られたりもしたそうです。

それでも、歌川国芳は、
江戸幕府を風刺する絵を描き続けたことで
当時の人々から非常に愛された絵師だったようです。

また、多くの弟子を育てた彼の功績は偉大で、
2011年には彼の没後150年を
記念した展覧会が開かれたほどでした。

話を都市伝説に戻しますが、
歌川国芳の作品の中には、
いくつか、話題のものがあります。

「東都御厩川岸之図」に書かれた予言

「東都三ッ股の図」の他に、
都市伝説界隈では、
「東都御厩川岸之図」が話題になっています。

東都御厩川岸之図(とうとおんまやがしのず)

右下の男が手にする傘に記された
文字をよくご覧になって下さい。

傘の文字「千八百六十一番」

分かりにくいのですが、
「千八百六十一番」とありますよね。

数字にすると、「1861」ですね。

これが何を意味するのかというと、
西暦を意味するといわれています。

歌川国芳自身が、
「西暦1861年に亡くなった事を予言している」
という事で話題になっているのです。

当時は、鎖国政策によって、
海外との交流がほぼ禁じられていました。

時の流れを数えるのに使用するのは、
もっぱら年号だけでした。

例えば、歌川国芳が生きた時代は、
寛政(かんせい)が元号でした。

今でいう和暦をイメージしてください。

和暦に対して、西暦は、
キリストが生まれた年を、
基準として数えていきます。

鎖国で、情報が入ってこない当時、
西暦の知識と理解があったという事は、
考えにくいかなと思います。

そもそも、「なぜ、西暦なのか?」と
考える方もいるかもしれません。

「千八百六十一番」なので、
何らかの番地を意味するのでは?
と私も思っていました。

しかし、「番地」という考え方は、
明治の文明開化以降の考えのようで、
当時の江戸には存在しません。

たまたまじゃないの?とも思えますよね。

やや、こじつけが強いかな?
という印象を受けますが、
ロマンがあるな、と個人的に思います。

没年の予言は、これだという仮説がなく、
自分の未来を見たタイムトラベラーとする説も、
あるとか、ないとか・・・。

スマホを持つ女性の浮世絵

番外編という事で、
他にも、ネットで話題になっている、
歌川国芳の作品をご紹介します。

なんと、スマートフォンを持つ
女性の浮世絵との事です。

艶姿十六女仙
江戸じまん名物くらべ こま込のなす

こちらがそれぞれのアップの画像です。

艶姿十六女仙の拡大画像
江戸じまん名物くらべ こま込のなすの拡大画像

これには笑えました。

どう考えても「手鏡」と「包丁」です。

パッと見て、それらしきものに感じますが、
間違いなくiPhone・スマホではありませんね。

都市伝説好きな私でも、
これはフォローしきれません。苦笑

まとめ

さて、今回の都市伝説はいかがでしたか?

残念ながら、歌川国芳がタイムトラベラーで、
未来の東京を見て、スカイツリーを書いたとする説は、
否定される形になりました。

残念ですが、あれはスカイスリーとは言えないです。
井戸掘りのやぐらが正解でしょう。

しかし、自分の没年を予言した傘の浮世絵は、
謎が深まりますよね。

もしかすると、タイムトラベラーかもしれません。

あなたは、どう思いましたか?

都市伝説まとめ大辞典からのお知らせ

3冊目の電子出版しました

クリックして今すぐ読む

※期間限定でキャンペーン中

\ボタンを押してシェアお願いします!/